皆さんは、プライドって持っていますか?
「あいつはプライドが高くて付き合いきれない!」とか、逆に「あの人にはもう少しプライドを持って欲しい〜」など身近でもよく耳にする単語ではないでしょうか。
自分の価値観や信念を示すためにもある程度のプライドは持って然るべきだと思います。しかし無駄にプライドを持ち過ぎると頑固になったり、その価値観を周囲にも押し付けるようになってしまいます。
今回はそんなプライドが高い人にスポットを当てたいと思います。
まずプライドが高い人の特徴と言えば…
- 勝ち負けにこだわる
- 自分の非や負けを認めない
- 頭が硬くて融通が利かない
- 自分のことを自慢しがち
- 人を見下しがち
- 茶化されると機嫌が悪くなる
などなど…
他にも色々あると思いますが、周りから見て普通に付き合いにくい人ですよね。
もちろん本当に実力があって持つべきプライドを振りかざしている場合もありますが、実際には周りが思うほど自信も実力もないのにプライドを捨てられなくて苦しんでいる人も多いと思います。
なぜなら私自身がそうだったから。
人より抜きん出るものもなくとくに自慢できることもないのに、背伸びをして強がったり意地を張ってしまったりで、「私ってめちゃくちゃ感じ悪くて嫌な奴。」って常に思ってました。
そんな自分が大嫌いでした。
逆に周りにプライドが高い人がいる、という方も本当に大変だろうと思います。同じ職場なのに敵対心を向けられているようなあたりの強さとか、出来ないことを責められたり(もはやパワハラ)。
でもね…こっちもいろいろ大変なのよ。←
言い訳すんなよって感じですが、
今回はそんなプライド高め女として生きてきた私が自分自身を分析してみて、実際はどんな人間なのか、どんなことを思って生きてきたのかをまとめていきたいと思います。
あくまで私の例にはなりますが、少しでも共感してもらえたり、プライド高めな奴って表向きと内面が全然違う人こんな人もいるんだよ!ってことを知っていただけると嬉しいです。
プライドの高さは臆病者の証
そもそもプライドとは【弱い自分を隠すために自分を強く大きく見せる】自己防衛的な役割を果たしています。
プライドが高い人は常に他人と比較しては、相手より至らない自分に落ち込みどんどん自信をなくします。そんな自分を知られまいと必死に隠し強がりますが、それを見抜かれると憤りを感じてしまう。
プライドが高い人は、本当はとっても臆病なんです!
強い女(あるいは男)と思われがちな部分もありますが、決してそんなことはありません!むしろその逆。私も全くその通りで、自信のない自分を隠しながらも周りにはできる自分を偽っていました。
本当の自分をさらけ出すことに並々ならぬ恐怖を感じてしまい、どうしてもさらけ出すことができないのです。
でも実際にはそんな自分の弱さに気づかない人も多い。だから周囲は苦労するんだよね…。
プライドが高かった私の裏側
プライドが高い私がいったいどんな心境で過ごしてきたのか、幼少期から社会人になるまでの自己分析を実体験をもとに記していきたいと思います。
出来ない自分が許せない!
わたしは思えば子供の頃から“自分はやればできる子”といい聞かせて何事も一生懸命に努力してきました。そもそもこの考え自体(何をやっても上手くいかない…)という自信の無さの表れだったのかもしれません。
- 勉強ができるわけでもないし、
- 人見知りでコミュ障なので話すのも下手、
- スポーツも好きだけど技術的に長けているわけでもなく、
- 絵を書くのは好きだけど上手い人は沢山いる…。
考えてみれば皆んなそんなもんだと思いますが、その中で最終的に自分にあっているかを判断し、好きなことやりたいことを見つけ自分なりに楽しんだり、将来に繋げていきますよね。
しかし一個一個に執着しすぎた私の場合は、どれかに的を絞ることができませんでした。それが諦めや挫折のように感じでダサいと思っていたのかもしれません。
全部を頑張ることが普通。そして出来ない自分を許せなかった。
そして私には出来ないことをやってのける子がいると劣等感に押しつぶされそうになり、こっそり勉強したり練習したりと努力を重ねますが、実際にはあまり良い方向にはいきませんでした。
その努力の過程を知られるのも嫌でした。簡単にできる人がいるのに自分は「こんなに頑張らないとできない」、あるいは最悪「頑張ってもできない」という現実。
他の子だってきっと頑張った結果なのにね。
そうやって何度も何度も自分自身にガッカリさせられる内にそれが自分の恥となり、いつの間にか出来るように振る舞っては、本当の自分がバレるのをビクビクしながら過ごしていました。
それなのに自分より下のポジションにいる人や、自分に出来ることができない人に対してはマウントを取ったり、強気に出る卑怯者です。
真逆の自分に憧れていた!
なぜそんなに出来る自分にこだわるのかというと、これには思い当たることがあります。
私は元々あまり感情が顔に出ないタイプ。例えば自分としてはとても楽しんでいるのに、周囲からは「つまらない?」とか「もっと喜んでよ!」とか言われてしまうタイプです。
そのうえ人見知りで必要以上に言葉を発さず、余計に感情が伝わりにくかったと思います。
そのせいか幼少期から子供のわりにとても落ち着いていて、堂々としているように見られていました。実際に昔からよく言われていましたし、周囲からの印象は本来の自分とは真逆だったのです。
- 頭が良くて器用
- 冷静で落ち着いている
- 何事にも動じない
- 大人しくて優しい子
このようにいつの間にか自分のイメージが勝手に形成されていきました。「本当は全然違う!」と否定できなかった私は、自然とそのイメージに合わせはじめます。
今思えば子供には残酷すぎる環境だったな。
「あなたならできるよ!」と言われれば(期待に応えなくては…)、(期待を裏切りたくない…)と考え必死に努力を重ねるしかありません。なぜかそこから逃れることは考えもしなかった。
いつか本当にその真逆の自分になれる日が来るかもと信じていたのかもしれませんし、それによって「褒められたい」とか「敬って欲しい」とか、そんなエゴもあったのかもしれませんね。
社会人になるとギャップに苦しむ!
社会人になると失敗を恐れる私は人一倍努力しました。
仕事が終わってからも休日も犠牲にしてできることを増やし、さらに体調不良で休むことも恐れ、定休以外は1日たりとも休むことなく、むしろ休む人の代わりに休日出勤。上司からの信頼を積み重ねます。
しかし上司に好かれると今度は期待が重くのしかかります。
もともと人並みのことも上手くいかず、隠れた努力でなんとかカバーしてきましたから、どんどん仕事を任されれば全体の質も下がるうえ失敗のリスクが高まります。
案の定、徐々にミスが増えはじめ、(あんなに努力してきたのに!)と自分自身に憤りを感じるように。さらに本当の自分とのギャップに苦しみ溺れていきます。
周りには出来る自分しか見せていませんから、ミスに対しても「たまにはそんな時もあるよ!」「大丈夫、気にすることないよ!」と寛容にフォローしてくれます。
それがまた辛い…。だって本当は何も出来ないんだから。
自分を信頼してくれる人達を騙しているようで本当に辛かったです。これでは誰とも本音で向き合うこともできません。
プライドが高かった私の特徴
プライドが高いというものの具体的に私が一体どんな人間だったのか。当時の私の目線で心境を語りたいと思います。
自分の非や負けは絶対に認めない!
まずプライドが高かった私は自分の能力の低さを認めるわけにはいけません。それをカバーするために脇目も振らずに人知れず努力をしてきたのですから。
すべては自分のために勝手に頑張ってきただけなのですが、まるで偉業を成し遂げたかのようにその努力の積み重ねを自分の誇りとして大事に大事に抱え続けているのです。
そんな“頑張ってきた私”が失敗するなんてありえません!
ミスをすれば醜い言い訳をしたり、逆に相手の欠点を指摘するという醜態を晒します。
頭でっかちで融通が利かない!
私が失敗しないために勉強してきたことなど知識のひとつにすぎません。それが実践で必ず使えるわけではありませんし、実際には臨機応変な対応が必要となります。
ときには自分が提案したことであっても「こっちのほうが良いよね」という意見が出てくることも。しかし私に取って自分が「正しい!」と思うことは絶対なのです。
それは簡単に他人が覆せるものではありません。
しかも予想外のことに対応するのは苦手。失敗しないためにひとつの物事の道筋をある程度予想しておくので、計画通りにいかない場合は最悪の状況と言えます。
それでは失敗するリスクも高まるため、私としては何がなんでも自分の意見を通したいのです。
仕事をする上では会社にとって一番利益となる方法を取り入れるべきですが、私にとっては“自分にとって”どれが良いのかが優先事項でした。
他人のミスに容赦ない!
職場ではチームで仕事を行うこともあり、信頼関係も大切です。
ですが私は「自分がやればできていたのに」というような周囲のミスがとても嫌でした。自分が出来ないことは棚に上げ、できない相手を責めてしまうことも…
前述したとおり物事の道筋をある程度予想しているので、「こんなところで躓いたら予定が狂う!」と計画通りにいかないことも許せなかったのです。
そんな感じで人見知りのくせに自分の価値観を押し付けることはやめられない。
ある意味はっきりと意見を言ったり、堂々としている様子を見て「なんかすごい人」と崇拝してくれる人もいましたが、基本的には自己中心的でわがままなだけです。
絶対にいじられたくない!
ときにはプライドの仮面が剥がされ本当の顔が晒されるリスクもあります。弱い自分はずっと隠し通せるわけではないのです。
上手く隠せていると思っているのは自分だけで、実際には周りが気を遣って接してくれていたり、勘の鋭い人にはバレていることもザラだと思います。
直接「本当は○○でしょ!」と容赦無くぶち込んでくる人や、痛い目で見てくる人、なかには心配してくれる仏のような人もいるのです。
本当はヘタレだと知れば揶揄ってくる人もいます。冗談だとしてもプライドが傷つけられてしまい、ムキになって相手に立ち向かっていく様は必死すぎて笑えません。
ですがそんなふうに言われたり思われても基本認めることができません。本当は悔しいのに「全然平気!」と涼しい顔でやり過ごします。とにかく誰かにマウントを取られるようなことはあってはならないのです。
陰では酒の肴になっていたかもな。私だったらするもん
これまでの辛かったことや苦労を知っているからこそ、そんな自分を傷つけまいと守ろうとする外側の自分。内側と外側ではまるで別人格で、それぞれが自分を守ろうと必死になっている感じです。
プライドが高い女の末路とは?
このように出来る自分になりきり、ダメな自分なんて居ないかのように閉じ込め続けた私の心は常に孤独。家族や友人には「ちゃんとやっている!」「頑張っているんだ!」とアピールし引き続き努力を重ねます。
しかしやるべきことが積み重なると、やがて手に負えなくなり限界が訪れます。寝る時間や休みも確保できないことが長時間続き、私は心身ともに疲弊しメンタルが崩壊します。
気分は常に下がりっぱなし。理由もなく悲しくなり、朝は目覚めた瞬間から絶望的な気分でした。こうして無駄なプライドに振り回された私はどん底まで落ちるのです。
ところがここでもプライドが邪魔をします。すぐに病院には行けないのです。
社会に出れば辛いのなんて皆んな一緒だし、病院に行くことでダメな自分を認めることになると考え、ここからまた暫く救われたい本心とプライドの間で押し問答が続きます。
その後極限まで踏ん張りますが、いよいよ「病院へ行かないと死ぬかも…」という不安にかられます。この「死」を身近に感じたことで、私はようやく重い腰を上げ病院へと足を運ぶのでした。
まとめ|結局プライドを捨てるのはムズイ
こんな感じで一人で勝手にプライドと戦ってきた私ですが、結局のところ今だにプライドを捨てきれていないのが正直なところです。
子供の頃からこうして生きていると、まるで呪いのように蝕まれるのにこびりついて剥がれない。
ですが心療内科に通い始めたことを機に、肩の荷がおりたようにほっとしました。
少しづつダメな自分も認められるようになったのと、自分の限界を超えたことで「こうなったらヤバい」というボーダーラインがなんとなくわかるようになり、ときには妥協することも大切だと悟りました。
もちろん限界なんて決めるなっていう人もいますし、私も本当は制限なんかしたくないですよ!
ですが私にはそれが生きるために必要なこと。出来ないことは出来ないと認め、その上で出来ることを精一杯やって自分らしく生きていくことが一番だと学びました。
自分の欠点も含め、ありのままの自分を受け入れる。
自分を許し受け入れる事は簡単なようで難しいですが、プライドを『自尊心』に変えることができれば、今までのように意地を張ったり他者と自分を比べなくてもよくなります。
今悩んでいる皆さんも、自己分析をしてみたり一度ちゃんと自分自身と向き合ってみませんか?